2016年8月31日水曜日

2016夏 「YCC_山便り」総括

この投稿が「YCC_山便り」最後の記事になりました。総括と言っても感謝の言葉しか思い浮かびません。参考までに全期間(2011春~2016夏)でページビュー(PV)の多かった記事ベスト10,多かった年月ベスト3を挙げてみました。

・あまり山と関係ない記事が1番と2番,何故かわかりません。
・3番のマッターホルンは投稿直後1ヶ月でPVを伸ばしました。今後も読まれNo1になるでしょう。大山よりマッターホルンってことか。
・大山周辺では大山北壁,甲川がよく読まれました。
・最後の2ヶ月が年月ベスト3に入り有終の美を飾ってくれました。

①ページビュー(PV)の多かった記事ベスト10(8月末現在):
PV:735 2012夏 八東ふる里の森(アカショウビンと登山競技の閉会式)
PV:571 2013冬 スキー講習会           
PV:481 2016夏 マッターホルン・ヘルンリ稜 
PV:442 2013夏 御嶽山              
PV:438 2015夏 甲川三昧           
PV:428 2016夏 甲川(上の廊下)        
PV:425 2015冬 大山北壁(弥山尾根西稜)     
PV:400 2015夏 甲川(天王滝)          
PV:381 2014冬 大山北壁(別山バットレス中央稜) 
PV:371 2013秋 キノコ採り①:マイタケ      

②ページビュー(PV)の多かった年月ベスト3(8月末現在):
PV:8321 2016年7月
PV:8146 2014年1月
PV:6864 2016年8月 

③大団円:
2011春からスタートしたブログ,1年のつもりが6年も続いた。大山の大半も紹介し,ブログを見て多くの仲間も入会してくれた。ブログの使命は終わったようである。とりあえず2016夏で一区切りつける。たまには5年間の記録を振り返り大山周辺の奥深さ,素晴らしさを再認識してくれたらやってきた甲斐がある。
今後は若い人が新たな歴史を作っていってほしい。
YCCでの新たな出会い,山行,本当に楽しい時間でした。わがままな管理人の山行に付き合ってくれた会員たちに感謝してブログを閉じます。
寂しいな,寂しいけど,グッバイ!

2016年8月27日土曜日

2016夏 赤木沢アクシデント顛末記

準会員Oから「赤木沢アクシデント顛末記」が届きました。
大変面白い読み物?です。自分だったらどうしたのか?何故そうなったのか?いろいろ想像して読んでみて下さい。
ちなみに彼は国体山岳競技少年女子の優勝監督のキャリアがあり読図には精通しているのですが…
『赤木沢』この刺激的な山旅
~最上の楽園を楽しみ,その後に待ち受けた“落とし穴”について~
8月21日太郎平小屋を早朝に発つ。私としては,4時起床を目指していたが,出発時に確認すると3時過ぎであった。早いに越したことはないと思いながら,そのまま薬師沢に降りる。もちろんまだ暗い。空は満天の星。
薬師沢小屋6時到着。かなりの人出だ。黒部の沢に向かう人も1名ある。沢靴に履きかえて,そのまま出発。先行の御仁はかなり速い。とても追いつけないが,先方に姿が見えると安心だ。黒部川は水量が少なく渡渉も簡単であり,何度渡ったであろうか。少なくとも10回は下らない。それも一度ならずとも足を取られ,全身を水に濡らしたが,気温からすると何のこともない。人は面白いもので,渡るべきところはおおよそ先行者と同じとなることはうなずけるが,歩く河原も大体決まったルートとなり,先行者の濡れた足跡が残っている。
最後に高巻きをして赤木沢出合に至る。これまでにも見慣れた景観だ。少し中に踏み込むと,その魅力たる美しさが現れる。それは筆舌に尽くしがたく,この報告書のテーマともなりそうにないので、ただ“最上の楽園”とのみ記すこととする。
大滝に8時到着。T氏の言っていた5時間を少しばかり短縮する。もっとも沢の中も,その時々に立ち止まることもなく,休憩はしたものの,ただ通過するだけで写真の1枚も撮ってはいない。次の機会に,このたびの同行者2嬢をお連れしたいものだ。大滝上部の沢最終ポイントまでは快適な山行であった。ここまでは。
(これより図を参考に)
沢の最終ポイント「◎」から登山靴に履きかえる。通常なら「①」のルートを採るのだが,このたびは「北ノ俣岳」を迂回するために「②」のルートを採ることとした。これが大きな間違いを呼ぶ。この一帯は草原野とはいえ,ところどころハイマツが群生している。正確ではないが,図中の網目部分がそれであったと思われる。それを突破するにはかなりの体力と根気を要する。私は,最初の段階でそこから脱出した際に,大きな過ちを犯す。想定「△」のポイントで位置確認なり,方向確認をすればよかったが,ハイマツ帯の処理に気を取られ,それを怠った。その結果,「③」のルートを採ってしまった。このことは当初より気をつけなければならないと考え,T氏もそのことを言っていた。おまけに私は,図中の「点線」を本来の尾根筋(赤木岳~北ノ俣岳)と勘違いしてしまった。標高を見ればわかりそうなものだが、思い込みとは恐ろしい。私は思い込みがかなり強い方だ。したがって,変だと気がついても,図中の周辺を当てもなく登山道を探すこととなる。
10時になった。この時点で軽いパニック状態。同行者2嬢とは太郎平小屋で12時の待ち合わせ。それもどうやら怪しくなってきた。それでも初期の間違いに気が付かないため,無意味な登山道捜索を繰り返す。そのうちに,一瞬“剱”が見えるがすぐに隠れる。頼みの“薬師”“黒部五郎”もガスの中に消えてしまった。
12時になる。現在地が分からないため、絶望的になる。GPSを持ってくれば良かった。ケータイを持っていたら良かった。これまでT氏にオンブにダッコでいたことを後悔する。同行者2嬢は心配しているだろう。悪いことをした。「エエイ,ドウニデモナレ」
14時。私は明らかに「遭難」を自覚する。ビバークのため,付近の池塘から水をくむ。食料は朝弁当の残り。しかし,身の危険は全く感じなかった。幸運なことに,また陽が燦々と出てきた。
寝っ転がって考える。台風が近づいているな。ヘリは飛べないだろうな。救助されたら,もう山は止めなければならないかな。“んーん,まてよ。救助隊にはこうなったことをあらかた説明しなければならないだろうな”私は地図を出して,もう一度眺めてみる。と同時に,今まで気がつかなかったスカイラインが目の前にある。
人間は諦めと同時に,落ち着きが肝心だ。現地点2,450m,西方向にそれより高い尾根があり,その前には大きな沢がある。私は,今“赤木平「×」”の上に居る。14時30分。わかった以上,行くしかない。さらに幸運が味方する。赤木平を降りると,そこには水が流れている。池塘の腐った水を飲まなくてもよい。尾根には人影が見える。間違いない。それでも,標高差250m。「④」のルート。なんと苦しかったことか。
尾根にたどり着く。登山道上に出る。もう捜索隊はいらない。長く苦しい歩み。17時30分太郎平小屋に着く。Ak嬢が涙で出迎えてくれた。I嬢もほっと安心した表情だ。 
“ごめんね、2人とも” この日は,初の山小屋連泊にてこの長かった1日を終えた。
(文責:O)

2016年8月25日木曜日

2016夏 北アルプス(薬師岳&赤木沢)

新会員Akにとって初めてのアルプス山行。TとSiより薬師岳はいかがかと提案があった。
私は昨年友人と行くつもりで計画していたのがキャンセルとなったので,今年はぜひ行きたいと思っていた。
Siの仲介により,ちょうど赤木沢へ行くという準会員Oも加わった。
赤木沢はとても魅力的だが私たちが行くには時期尚早と考え,今回は尾根歩きで景色を楽しむことにした。
奥には北ノ俣岳と赤木岳
①日時:2016.8.20(土)~22(月)
②行先:薬師岳&赤木沢
③メンバー:I,Ak,O(準会員)
④行動記録:
 【8/20】折立(7:52)→五光ベンチ(9:52)→太郎平(13:23)(14:16)→薬師峠(14:34)
 【8/21】薬師峠(6:30)→薬師平(7:02)→薬師岳山荘(7:57)→薬師岳(9:02)→薬師岳山荘(9:46)→薬師峠(10:53)(11:58)→太郎平(12:23)
【8/22】太郎平(6:15)→五光ベンチ(6:56)→折立(9:58)
⑤行動概況:
 【8/20】
深夜の運転疲れに加え不慣れな重量ザックに時折ペースダウンしながらも,しっかりついてきたAk。
太郎兵衛平では赤木沢帰りの知人と出会い,明日の参考にと情報を得る。
折立出発から約5時間半後に太郎平小屋に到着。
ヘリが飛べなかったので,ソフトドリンクは売り切れ。生ビールで喉を潤すAkが羨ましかった。
遅い昼食を済ませ,翌日赤木沢へ向かうOとは一旦ここでお別れ。
明日の行動計画を確認し合い私たちは薬師峠へ向かった。
テント設営後,少し横になったり周辺を散策してから夕飯の支度にとりかかった。
美味しい香りに誘われてオコジョが姿を現した。慌ててカメラを構えたがすぐに隠れてしまった。
上空は薄い雲に覆われて,星空は見られそうにない。
沢の音を子守歌代わりに,いつの間にか眠っていた。
 【8/21】
5時過ぎに起床。身支度と軽い朝食を済ませ薬師岳目指して出発。
涸沢を登り薬師平を過ぎても前を見ればまだまだ先は長い。
しばらく歩いて立ち止り振り返ると,雲上の稜線をもうこんなに歩いてきたことに気がつき感動する。
薬師岳(2926m)登頂おめでとう!
遠くに槍ヶ岳を見つけて憧れを抱く。そんなことを繰り返しているうちについに薬師岳へ到着。
徐々にガスがかかり始め,山頂からの眺望は叶わなかったがAkの表情は清々しかった。
薬師峠に戻ってテントを撤収し,Oとの待ち合わせ場所太郎平へ向かった。
壮大な景色に興奮し疲れたのか,昼食を済ませたらベンチに横になりウトウト。
太郎山から下りてくる登山者の中にOの姿が一向に見えず心配し始めた頃,顔を真っ赤に日焼けしたOが戻って来た。
大滝を抜けてから稜線に出るまでのルート偵察に相当苦戦したご様子。
時刻は17時。もう少し早ければ下山して折立のキャンプ場か白樺ハイツでの宿泊も考えたが,
今晩は小屋でもう一泊し,体力を回復させてから翌朝下山することにした。
お疲れ様でした
【8/22】
天気予報とは裏腹に,空は青く朝日がまぶしい。
薬師岳の柔らかな稜線と神々しい剱岳の姿を眺めながら,折立へ下山した。
⑥その他:
初アルプスで,テントに小屋泊おまけ付き。Akにはどんなふうに感じられたでしょうか?
今回はイントロダクション。これから経験する山も,きっと素晴らしいものでありますように。

2016年8月23日火曜日

2016夏 甲川(下の廊下~上の廊下F1)

マッターホルン。記事の題名をみて,たぶん烏ケ山(山陰のマッターホルン)に誰か行ったのだろうと最初は思った。記事を読むと本物だったのでびっくりした。私の友達に不幸があり,モチベーションが下がっていたが,元気が出た。この日の天気予報は雨。所により激しい雨が降るとの事だったが,目指すは上の廊下最終堰堤。マッターホルンと甲川で張り合ったってしようが無いことだけど,中年おっさんの魂に火をつけてくれたFuに感謝。沢のぼり初体験のSkもいるので,しっかり安全第一とはいいながらも,通しで歩くには,時間をかけていられない。昼飯も食わずに,5人パーティーにしては珍しいハイペースで,駆け上がったのだが,甲川の水は決して甘くない。
①日時:2016.8.22(日)
②行先:甲川(鶯橋~下の廊下~中の廊下~上の廊下F1)
③メンバー:As,Sk,Oe,Ad,Mk
④行動記録:
鶯橋(8:00)→冑滝(11:00)→上の廊下F1(13:00)→林道P(14:00)
⑤行動概況:
天王滝
朝起きて雨雲レーダーを見ると,大山のある地域を赤でマークされた雨雲が通過して行くのがわかった。30ミリくらいの雨が,私が寝ている間に降ったらしい。鶯橋を降りると,嘘のように水が透き通っている。水量が少ない。Tが甲川の濁流は雨が上がると2,3時間で元の川の様相に戻ると教えてくれたことがある。この調子だと,順調にいけば最後まで抜けれそうだとその時は思った。三連釜の滝を越えてすぐに天王滝に着く。いつもはここで一服やるが,奥の滝にひょいと上がってみんなをロープで引き上げる。10分間でこの場所を突破する意味は大きい。満足だった。足払いの滝も,全員で等間隔で行動し,水流の強い滝も次々飛び込んで上がってきた。温かい場所に出たら,そこで初めて休憩らしい休憩をとる。そうすると上からぽつぽつ雨が落ちてきた。沢の雨は嫌いだ。木が濡れると楽しみが一つ減る。そればかりか,高い崖から大木がずり落ちてくる。滝の中に倒木や岩が混ざって流れ,危険が大きく増す。しかし悪いことばかりではない。ゴルジュが濡れると悪そうな岩の顔がますます悪く見える。冑滝直下のいつもの景色も,一層悪く見えた。冑滝をフリーでAsが上がったので,みんなで手を挙げて喜んだ。初めてのSkも喜んでくれたようだ。雨が降ると水温が上がって寒さが減る。上の廊下に近づくのに寒くならない。右岸の上部からまっ茶色の水が轟々と流れ落ちている。恐ろしい顔をしたF1に到着した時には,激しいスコールがメンバーを叩きつけた。
足払いの滝
滝からの水しぶきが今までとは明らかに違う。とっくに清流ではなくなった滝壺に向かって泳ぐ。右岸にOeが立ち私は奥の滝壺に飛び込んでたどり着いた。まずはOeが右岸までメンバーを引っ張る。Oeの所から奥まで私が引っ張り上げる。瀑音の下ではホイッスルサインが役に立つ。番茶のような色をした水が滝からすごい勢いで流れ落ちている。瀑音と爆風の厳しいコンディションの中に,魅力と危険が混在している。その中を進むと,脳内物質がほとばしるように分泌されてくる。笛をはずし,大きな声で指示を出していたため,とっくに喉がしゃがれていた。F1の本流をいつものように上がろうとするが,水流に押されて足が上がらない。そればかりか,ホールドがいつもより水流の30センチ奥にあった。F2から流れる水は真っ茶色で,雨脚は弱まるどころか一層激しくなる。
勇気の一歩で岩をまたぐ
圧倒的に行きたい気持ちの方が優っていた。左手も左足も完全に体重が載っていたが,F2の滝に水しぶきが飛び散る様が,滝にへばりつく,私の目に飛び込んできた。これは危険だやめよう。尚もアブミを掴み左岸から上がろうとしていたAsに向かって,無念の撤退コールをした。やむを得ない判断だった。撤退と決まれば長居は無用。次々に淵に飛び込み下流まで自動的に流されていった。上の廊下入口のエスケープルートまで,濁って足場が見えない甲川に難儀した。水量は多く水もぬるく感じた。それから,明瞭な踏み跡をたどり全員無事に到着した。メンバーは充実した顔をしてくれ,私もその顔を見て満足した。途中,Asに「このコンディションは楽勝過ぎね」と私が舐めたことを言ってしまった。言ってしまってすぐに「甲川の怖い罰が当たる」と思い訂正したが,その言葉を発して10分後に大スコールとなった。
Weeping in the Rain
Asに「すぐに罰が当たりましたねぇ~」と軽くからかわれたりした。Adはフルウェットを七分に切ってきた。動きやすくなって動きが早くなった。Oeは口癖で「逆によかった」と逆にを使う。今度言ったら逆じゃない時はどうなのかを問い詰めようと思う。Skは初めての沢がこれでは衝撃的だったのではないだろうか。今度の山川谷も期待してほしい。ちょっと前まで,ソロ登山が多かった。今はYCCのパーティーが好きだ。山行前は,いつもナーバスになるが,最後はいつもメンバーを信頼することで克服できる。これからも,YCCメンバーで研鑚しながら,先輩たちに近づきたい。Tの作り上げてくれたこのブログに,私が投稿するのはこれで最後となった。私が入会するきっかけになったのも,このブログの記事を見たことから始まる。Tには甲川をはじめ,北壁弥山尾根西稜,三鈷峰東壁,無雪期烏ケ山南西尾根,そして大休峠夜間雪中行軍など,厳しい山にたくさん連れて行って頂いた。Tは穏やかで,みんなにとても優しく接してくれる。しかし,山に入ると自然の猛威を凌駕するような気迫にみちあふれ,私たちが躊躇するような猛烈な積雪や藪漕ぎでも,切り裂くように道を進んで行った。ショッパイ汗をかきながら,追いつけない背中を夢中で追いかけた。キノコやイワナも教わった。確保の技術もルートファインディングも実践教育で叩きこまれた。落ち込んだ時はあの優しい笑顔で励まして下さった。何より大山の本当の魅力を感じさせて下さった。心からの感謝の気持ちを山便りに記そうと思う。ありがとうございました。感謝の気持ちをYCCの発展への行動に表し,これからも研鑚を積んでまいります。まだまだ教わることはたくさんありますので,末永くご指導賜りますよう心からお願い申し上げます。

2016年8月19日金曜日

2016夏 マッターホルン・ヘルンリ稜

初めは登うろうなんて考えもしなかった眺めるだけの山だったけど,調べてみるうちに可能性があるように思えた。そこからは「登るためにはどうすべきか」を考えて数年,計画&トレーニング。今年夏に時間が取れて登りに行けそうだったので,現地ガイドを雇って登ってみようと計画していると,運良く長期の盆休みが取れるというN川が同行してくれることになった。マッターホルンに必要と思われるトレーニングをしていくうちに,「ガイドレス」という選択肢が上がった。そこからは猛特訓!
ツェルマット到着

①日時:2016.8.8(月)〜17日(水)
②行先:スイス・マッターホルン・ヘルンリ稜
③メンバー:Fu,N川(NCC)
④行動記録:
【8/8】米子→成田→チューリッヒ→ツェルマット
【8/9】ツェルマット→ブライトホルン4164m→ツェルマット
【8/10】ツェルマット→ヘルンリ小屋
【8/11】ヘルンリ小屋(4:30)→ソルベイ小屋(9:44)→4300m付近撤退(14:30)→3900m付近ビバーク(22:00)
【8/12】ビバーク地点(6:00)→ヘルンリ小屋(10:57)→ツェルマット
【8/13】ツェルマット→ヘルンリ小屋
【8/14】ヘルンリ小屋(4:20)→ソルベイ小屋(7:00)→マッターホルン4478m(10:00)→ヘルンリ小屋(16:30)
【8/15】ヘルンリ小屋→ツェルマット→チューリッヒ
【8/16】チューリッヒ→成田
【8/17】成田→米子
⑤行動概況:
【8/8】成田から直行便でチューリッヒへ行き,英語がダメな2人で乗り換えを間違えながらもツェルマットへ。出発前は雨予報だったが,ツェルマットに到着するとホテルの前からマッターホルンと月が綺麗に見えていた。雪もあまり付いていない。行けそうだ。
【8/9】休息日にしていたが,時差ぼけもなく元気だったので高度順応でブライトホルンへ登る。ゴンドラで一気に2200mほど標高を上げる。出発前はホワイトアウト状態。前方にマッターホルンのトライアル中の客とガイドが薄っすら見えたので,自分達も出発することにする。山頂へ登る急斜面に差し掛かるとガスは晴れ山頂からは周りの山々が見えたが目の前にあるはずのマッターホルンだけは上部がガスに覆われていた。
雪原が広がるブライトホルン
【8/10】ホテルからマッターホルンを見ると,雪が降ったようで白く輝いていた。天気は良い。少し降ったくらいなので翌日には解けるだろうとヘルンリ小屋へ出発する。快適なトレッキングルートだが,色々詰め込んだ装備で足取りは重い。部屋は4人部屋でロシア人と同室だった。お互いカタコトの英語だったがコミュニケーションでき楽しかった。彼らもガイドレスなようだ。装備に目をやると偶然同じロープだった(これが後で大問題になる)。翌日は暗闇の中で出発なので取り付きから1ピッチほど登ってルートを確認する。
マッターホルン取り付き
【8/11】多少雪が降ったようだが問題ない。出発だ。ガイド優先なのでガイドレスは最後尾に並ぶように指示されたが朝の混雑の中,列の真ん中辺りに並んでいた。取り付きはフィックスザイルが張ってあり順番通りにしか出発できないので順番待ち。緊張のひとときも直ぐに終え順番がやってきた。前後ガイドに挟まれガイドペースでしばらく登るも1時間もしないうちにあまりのハイペースにバテる。少しでもモタモタするとルートを知り尽くし最短で登る方法を知っているガイド達に一気に抜かれる。岩の迷路のようなマッターホルン,上方に見えるヘッデンの光を頼りに迷わないように登っていく。しばらくすると目の前にモルゲンロートが広がる。美しさに感動するも,この時点で4000m付近のソルベイ小屋がまだ遠い。
モルゲンロート,まだ先は長い
だいぶ遅いペースに焦るがなんとかソルベイ小屋まで登ると既に5時間経過,ガイド達が下山してきている。ガイドと張り合っても仕方ない,幸い日が暮れるのは21時頃。明るいうちに下山できればと山頂を目指すもマッターホルンの肩辺りからガスがかかり強風が吹き荒れ寒い,寒すぎる。そしてここまで私達を悩ませていたのが同室のロシア人パーティ。体力はあるがロープワークは得意でないらしく,ロープを出すたびになにやら言い合ってなかなか進まない。このパーティの待ち時間だけで山頂に登頂できたかもしれない。極寒の待ち時間に心が折れそうになるしタイムリミットも近づく。そうしたらロシア人パーティが自分達はココで下山すると懸垂下降の準備をしていたのでN川がまず抜かせてもらう。が,私が登ろうとするとロープが絡まった。運悪く同じロープで絡まったらどっちがどっちか分からない。なんとか絡まりをとり,N川の所まで登るが決めていたタイムリミットになったし,ここまで我慢していたというN川の高山病の頭痛がひどく天候も荒れてきたので私達も山頂手前のフィックスザイル3分の2を登った辺りで撤退を決めた。まずは強風吹き荒れるこの標高から離れようと急いで下山する。途中で下山途中のロシア人パーティも抜いた。ソルベイ小屋につき小休憩をしていると,ロシア人パーティもやってきてこの小屋でビバークすると言う。日が暮れるまでまだ時間もあったので私達は下山を開始した。レスキューのヘリだろうか。私達の上空をずっと飛んでいる。こんな時間にこんな場所をうろうろしている私達を遭難者と思っての事だろうか。しかし,迷路のような岩場を順調に下れる訳もなく迷いに迷っていると日が暮れた。暗くなってからもしばらくは下山したが明らかにルートを外し危険なトラバースをしてしまい,夜の行動は危険と判断し,記憶にあるルート上まで引き返し,風を凌げそうな岩場を探してビバークすることにした。準備をしているとツェルマットの夜景が綺麗に見え少し心が癒された。ツェルトに入ってしばらくすると雪の降る音が聞こえてきた。N川の頭痛もあまりよくないようで動かない。目が覚めるたびに生きているか確認した。厳しい環境だったが,私は意外とよく寝れた。
撤退途中,日が傾いてきて影マッターホルン
【8/12】翌朝,「ハロー」「ゲンキデスカ〜」「ダイジョウブデスカ〜」とツェルトの外から聞こえる。日本人2人が下山してこなかったことは分かっていたようで翌日のガイド達がツェルトを通過するたびに声をかけてくれた。外に出るとルートのど真ん中でビバークをしていた。下山準備をしているとガイドがたくさん降りてくる。日本人客がいたので聞いてみると今日は天候が悪く上部の雪が登れる状態ではないので撤退してきた,と教えてくれた。下山するガイド達を見て,ここを下りるのかとびっくりしながらついていくもガイドは下山もハイペース。前日で疲労困憊の私達には到底ついていけず,また迷う。何度もルートを外しながらも下りてくるガイドを見つけてはルート復帰し,少しづつ下山していった。頭痛はマシになったN川だったが,数歩歩くたびに息が苦しいようで何度も立ち止まっていた。取り付きまで下山できた時はやっとこの苦しい時間から抜け出せると嬉しかった。日程を前倒しで行動していたため,アタック予備日があと3日あったので,ヘルンリ小屋で休憩してまたアタックしようと私は考えていたが,N川は高山病が相当苦しかったようでツェルマットに下りる,もう登らない,と言う。明後日にまた登るかもしれないから装備だけでもヘルンリ小屋に置いて次回の負担を減らそうと提案するも疲労が激しく,また登る気にはなれないようで装備を全て持ってツェルマットへ下山した。振り返って見えるマッターホルンは早朝の悪天候とは打って変わり最高の姿を見せていた。ホテルで休息し,夜は人気のラムステーキのお店に行き,禁酒を解禁しビールを注文。死にかけていた数時間前の事など嘘みたいなゆったりした時間を過ごして快適なベッドの上で眠りについた。
1回目は完敗
【8/13】起きて外を見ると,今までで1番の快晴。街で過ごし落ち着いたのか,明日最期にもう1度トライしようかと提案があったので即快諾。前回の反省点を全て洗い出し,登攀スタイル,装備,休憩など全てを見直し準備をし,再度ヘルンリ小屋に向かう。小屋に着くと,あの日本人がまた来たって感じでガイドに見られた。前回の疲れが全然取れていなかったのディナーを食べて即就寝。
【8/14】前回と違いほぼ満室の大所帯。今回はガイドレスも多い。渋滞するのかと思ったが,いいペースで進んでいく。私達の前にはスローペースな老人のガイド登山で急ぐ気持ちを抑えてくれた。というか,私は前回の疲労で足が全然動かない。この疲労感で山頂まで行けるのか不安だったが,逆にN川は命がけの高度順応?のお陰か今回は体調が絶好調だったのでぐいぐいと引っ張ってくれた。高山病さえなければ頼もしい。2回目ということもあり,見直した登攀スタイルや装備が見事にバッチリだったので前回5時間ほどかかったソルベイ小屋まで2時間ほどで行けた。天気も今回の遠征中で1番良い。登頂を確信した瞬間だった。前回山頂手前まで登り,様子は大体分かっていたので心の準備もでき,フィックスザイルの最後辺りは厳しかったが,まあ順調に登っていくとマリア像が見え,山頂に着いた。前回写真を撮りすぎた事も反省点の1つで今回は写真は山頂だけ,と決めていた。今日はこの1枚で十分満足だ。大山が描かれている寿庵の手ぬぐいを記念に広げると周りから「オ〜フジヤマ〜!」という反応だった。大山です。下山は前回散々時間がかかった事もあり心配だったが,ガイドの速攻スタイルを真似させてもらい,順調に下りていけた。前回迷いまくった下山も今回はN川が登りながら完璧に覚えていて間違える事なくスムーズに下山できた。私は疲労で登るだけで精一杯でルートの確認などする余裕もなかったのでN川の正確なルーファイは本当に有難かった。遅いガイド登山は追い抜いてヘルンリ小屋の夕食に十分間に合う時間に下山できた。小屋に到着した時は,周りのガイドが何人か寄ってきてくれ「コングラチュレーション!」と祝福と握手をしにきてくれ嬉しかった。ヘルンリ小屋で周りを見ると屈強な大男ばかりだった。その中で私達は特に小さく子供のようだった。なので尚更よく登ったな,という感じだったのかもしれない。小屋の美味しいディナーをゆっくりした気持ちで食べる事ができたが,夜は疲れすぎて身体中が痛くてあまり寝れなかった。
マッターホルン登頂
【8/15】これから登る人達を横目にもう登らなくていいんだと安堵感でいっぱい。騒々しい朝食を下山するだけの私達はのんびり食べた。今日も良い天気だ。最期にマッターホルンのモルゲンロートを見てからツェルマットに下りた。ホテルをチェックアウトしチューリッヒへ向かう。今回スイスへ行く際に,友人である大山ゲストハウス寿庵の矢田さんに相談するとスイスのブリジットという友人を紹介してくれた。英語ができない私達の代わりに2人には当初の予定を変更しまくりの調整などをサポートしてもらった。2人がいなければ今回の登頂はなかったのでとても感謝している。チューリッヒに着くとブリジットが家族で出迎えてくれた。2人目の赤ちゃんを産んだばかりで大変だったに違いない。可愛い2人の子供にもとても癒された。
「アルプスの栄光」
旦那さんもクライミングをするようで,部屋にぶら下げてあった揺りかごはカラビナで固定されていたり台所のドアノブがヌンチャクでロックしてあったのが笑えた。英語ができず,うまくコミュニケーションが取れなかったのが申し訳なかったが,気にする事はないと,とても良くしてくれた。
【8/16】チューリッヒから成田へ移動。
【8/17】成田から米子へ。
⑥その他:
・とにかく運が良かった。日本で天気を見ている時はほぼ雨予報だったが,行ってみると晴れ。この短い期間に2回もアタックする事ができ,その両日ともコンデション最高だった。
お世話になったブリジットの可愛い子供達
・やはり午後からは天候が崩れる事が多いようでヨーロッパの速攻スタイルに登攀スタイルを変更することになった。1回目は日本でしていたような安全確保のリードクライミングの手順でしていたらガイドにどんどん抜かれていった。下りの懸垂下降も同じく。2回目はほぼコンテで登り下りした。確実なクライムダウンと勇気が必要とされる。1回目で多用した懸垂下降も2回目で必要だったのは1回だけだった。
・初めて見る支点で,想定していた装備は過剰装備となった。2回目は改善した。
・雪壁でガイド登山の客がアイゼンを私に向け滑落してきた。直前で近くのガイドが止めてくれたがぶつかっていたらセルフを取っていたとはいえ救助要請だった。後方ではピッケルを落としている人もいた。
・1回目のアタック日は日本の「山の日」だった。一生忘れられない山の日になった。

2016年8月6日土曜日

2016夏 大山(阿弥陀滝)

阿弥陀滝
毎日暑い日が続き夏バテ気味。少しでも涼を得ようと,阿弥陀川へ向かいました。
①日時:2016.8.6(土)
②行先:阿弥陀滝
③メンバー:I,準会員(O)
④行動記録:
 川床(9:00)→(10:50)阿弥陀滝(11:30)→川床(13:30)
⑤行動概況:
前日は大山で一番冷たいと湧水だとTが言う湧水の測温(7.2℃)に会員たちと出かけ,シャワートレッキングを楽しんだ。堰堤以外は巻き道を利用せず遡上し続けた足は痣だらけ,薄曇りの空の下に身体は冷えた。
ミヤマクワガタ
本日は同行者のリクエストにお応えし,水に浸かるのは太もも位までにして,山野草を愛でながら巻き道も楽しんだ。
阿弥陀滝で大休止の後は,再び汗をかきながら川床まで戻った。
⑥その他:
晴天続きのためか,阿弥陀滝の流れは細く岩を濡らす程度でした。次回は勢いよく流れる姿をお見せしたいです。
ザアザ(ナラタケ)?
この時季には珍しく,ザアザ(ナラタケ)を見つけました。
イワナの姿も見えたが,ガマカエルの見張り番がいたので,捕まえるのは我慢しました。
子どもでも楽しめる阿弥陀川は,工夫次第で大人も十分楽しめる。「遊びは工夫」阿弥陀川にはそんな魅力を感じました。

2016年8月1日月曜日

2016夏 北アルプス(北穂高岳・奥穂高岳)

恒例の夏の遠征。今年はYの悲願である奥穂高岳。
①日時:2016.7.22(金)~7.24(日)
②行先:北アルプス(北穂高岳・奥穂高岳)
③メンバー:Y,Sz,Mt,その他(1)
④行動記録:
【7/22】あかんだな駐車場(5:50)→(6:25)上高地バスターミナル(6:40)→明神館(7:40)→徳沢(8:50)→横尾(10:30)→本谷橋(11:40)→涸沢(13:40)
【7/23】東稜組・・・涸沢(4:00)→北穂高沢(5:00)→東稜稜線(6:10)→北穂高小屋(8:10)
南稜組・・・涸沢(4:50)→南稜取り付き(6:30)→北穂高小屋(7:50)
北穂高岳(8:50)→最低のコル(10:25)→涸沢岳(12:00)→(12:15)奥穂高岳山荘(13:00)→(13:50)奥穂高岳(14:10)→奥穂高岳山荘(14:40)→涸沢(17:00)
【7/24】涸沢(4:50)→本谷橋(6:00)→横尾(7:00)→徳沢(8:10)→嘉門次小屋(9:15)→(10:45)上高地バスターミナル(11:00)→あかんだな駐車場(11:30)
⑤行動概況:
槍ヶ岳をバックに
【7/22】21日の夜8時に松江を出発し,22日朝5時前にあかんだな駐車場に到着する。金曜の早朝ということもあり,停まっている車の台数は少なかった。朝食を取って身支度を整えてバスに乗り,上高地バスターミナルに到着する。横尾までは散策であり,登山者以外の格好をした観光客も散見された。横尾から登山が開始。岩小屋跡を越えたあたりから左手に屏風岩が姿を現す。その姿に圧倒されながら歩き,本谷橋に到着する。右岸で少し休憩し,出発するといきなりの急坂が意外とキツイ(ナメてました)。2時間程度歩いて涸沢に到着する。テントを張った後は涸沢名物のおでんと生ビールで乾杯する。夕食を取り,翌日に備え早々と就寝した。
【7/23】2時半に起床。雲ひとつなく月夜に照らされる中,食事を取る。周りのテントは寝静まったままであり,東稜組は4時に出発する。はじめは南稜と同じルートになるが,途中から北穂高沢をトラバースしてルンゼを詰める。ルンゼでは落石の心配があり,落とさないよう慎重に登る。稜線へ上がり南側を振り返ると雲海から頭を出している富士山が見えた。ハーネスを装着して登攀を開始し,しばらく行くと核心部であるゴジラの背が姿を現す。ロープを出そうか迷いながら歩くも,ホールドやスタンスがしっかりしているため,難なく通過できた。そしてコルへの下りは巻き道がありスタスタと降りることができた。コルから北穂高岳小屋へは踏み跡らしき箇所を辿りながら登るが所々右往左往する。そうこうするうちに北穂高岳小屋の真下に出てホッとする。ハシゴを使ってテラスに着くと,先に到着していたSzと目が合い「今,到着したの?ここ(テラス)に上がってくるの?」と驚きの声を上げる。抜けるような青空のなか,小屋からは槍ヶ岳を一望でき,皆写真を撮りまくっていた。
ガスに包まれる奥穂高岳山頂
しかし,出発する頃になるとガスがかかり始め,メンバーが私に厳しい視線を浴びせてくる。北穂高岳から奥穂高岳までの縦走路は岩場の連続である。ところどころ片側が切り立っており,出発前にSiが言っていたように東稜のゴジラの背よりも緊張感を強いられる。「最低のコル」が中間地点であり,クサリ場やハシゴを通過して長い岩場を乗り越えてようやく涸沢岳の到着する。ガスが取れる気配はなく景色が楽しめないので,早々と奥穂高岳山荘を目指す。到着して昼食を取り,奥穂高岳を目指す。Yの足取りが軽く見える。山頂に着く間際にガスが取れて晴れ間が見えたが,到着する頃には再びガスに包まれてしまい,景色は一切楽しめない有り様(やっぱり私のせいですか?)。集合写真を撮って山荘に戻り,ザイテングラード経由で涸沢に帰る。この日の涸沢は80~90張程度のテント数だった。
【7/24】3時に起床して朝食を食べて撤収を行い,モルゲンロートを見てから下山開始。途中,嘉門次小屋に寄って小屋内を見学すると,囲炉裏で焼かれていた岩魚が凄くおいしそうに見えた。下山後は昨年同様「ひらゆの森」で温泉に浸かり帰途につく。松江到着は23:30であった。
⑥トピックス
・東稜に登っているのは我々だけであった。
・東稜はバリエーションルートなので注意が必要。
・奥穂高岳山荘のラーメン(味噌味)が美味かった(僕の中で山小屋ラーメンのベスト3に入る)。
・アルコールを摂取した後には少なくとも同量の水分を取っておく必要がある(えらい目に遭いました)。

2016夏 富士山・南アルプス(荒川三山・赤石岳)

去年,南アルプス・白根三山縦走した際,更に奥に見えた山域。周りの方が「南の南」と言われていたのがどこか甘い響きに聞こえた。今夏はその「南の南」へ行ってきました。
富士山剣ヶ峰
①日時:2016.7.25(月)~29(金)
②行先:富士山・南アルプス(荒川三山・赤石岳)
③メンバー:Fu,会員外(R,Y)
④行動記録:
【7/25】五合目登山口(7:00)→浅間大社奥宮(13:05)→剣ヶ峰(13:49)→五合目登山口(17:00)
【7/26】椹島へ移動
【7/27】椹島(6:00)→千枚小屋(12:30)
【7/28】千枚小屋(4:30)→赤石避難小屋(13:14)
【7/29】赤石避難小屋(5:10)→椹島(10:20)
悪沢岳から右に荒川,左に赤石
⑤行動概況:
【7/25】例年なら7月下旬は梅雨明けで晴れマークが並ぶこの時期。梅雨が明けず雨マークが並ぶ。聖岳から荒川三山を予定していたが前半の聖岳は諦め少しは天気が良さそうな近所の富士山へ変更。静岡まで運転かれこれ11時間,疲れていたので登山口から1番近かった富士宮口ルートから登ることにした。高所が苦手な2人だったので高山病が心配で休憩やペースを考えながら歩くも当の本人たちは楽観的に登るもやはりRは7合目,Yは9合5勺で症状が出始め,それからはよく登頂したな,と思うくらい根性で登っていた。私はそんな2人を横目に先々週も登ったお陰か絶好調で登れた。
赤石岳より御来光と富士山
【7/27】椹島から雨上がりのサウナのような樹林帯に突入。千枚小屋まで展望はひとつもなく黙々と修行のように登る。6時間半登りやっとくつろげるとホッとするも湿気MAXの樹林帯の虫だらけのテン場が待っていた。急いでテントに潜り込み寝るしかない。小屋は綺麗だった。
【7/28】朝,テントに張り付いた大量の虫に気分が下がる。稜線にでたら気持ちのいい縦走が始まるのかと思ったが,この山域は山を1つ1つしっかり登り下りさせてくれる。
さて,2000m下りますか
遠くに見える赤石岳の大きさに最後にあれに登るのかとドキドキした。予定では赤石小屋でテン泊だったが千枚小屋でのテン場を思うと似た条件にある赤石小屋のテン場に泊まる気にならず,評判のいい赤石岳山頂直下にある避難小屋に宿泊地を変更。行程も3時間縮まり辛い赤石岳への登りが苦しくもなんだか楽しかった。避難小屋に到着すると小屋の方が今年最後の黒百合を見に行くとのことで同行させてもらった。登山道を外れないように,と看板がある割に登山道を外れまくった所に黒百合がひっそりと咲いていた。案内をしてくれたのは79歳の元気なおじいさんだった。評判通りの良い小屋だった。ここでTとYsにぴったりなものがあったのでお土産に買っておいた。
2人にぴったり?
【7/29】御来光に合わせて起きて外に出ると最高の景色が待っていた。こんなに景色の良い日にはもっと稜線を歩きたいものだけど待っているのは標高差2000mの下山。コースタイムを見て13時のバスに間に合うようにと下山していたが,途中で10時半のバスに間に合うような気がしてきて膝が痛いながらも我慢しながら下ると5分前に到着し急いで手続きをして乗車できた。
小屋の方も言われていたが色んな意味で根性のいる山域でした。